どうも、べえじゅです
今回は久しぶり(2ヶ月ぶり)にドミネーションズのユニット「歩兵」の歴史を見ていこうと思います
歩兵と書くのか槍兵と書いたほうが分かりやすいのか迷いますね

重装歩兵_asia重装歩兵_euro重装歩兵_地中海
重武装した多数の兵力は敵の建物を破壊するのに効果的です。

歩兵は主に建物を破壊することに特化したユニット
守護兵にはめっぽう弱いが建物へのダメージはかなり高く数で圧倒することができる
騎馬兵が防御建物を破壊したあとの安全な地域の建物を破壊するように使うといいだろう


槍は人類最古の狩猟道具・武器の一つで、白兵戦用武器の中で最も活躍した実用的な武器の一つであり、
その用途、種類は幅広く類似品も数多く存在する。
槍は人類の戦いの歴史に無くてはならない武器であり、全ての時代において使用され続けている。
近世以降は銃剣を着剣した小銃が狭義の槍に取って代わったが、その使用法は槍そのものである。


槍兵、戦士、兵士は特に説明することが無いと思うので重装歩兵からスタートします

-重装歩兵-
重装備の歩兵を指す。一般的には鎧兜や袖・佩楯・脛当・篭手などで身を固め、
剣や片手刀・鈍器・手槍に盾、長柄の武器・太刀などで武装する兵種で、世界各地に存在していた。

重装歩兵は石や矢などの投射兵器でも容易には傷つかず、
一般的に長期間の訓練を施された主力の兵士であって、戦場に踏み止まる能力に長けていたと思われる。
短所としては、動きが鈍重であり、弓矢や弩の扱いに向かず、
起伏や足場の悪い地形には向かない点があげられる。
重装歩兵同士の陣形戦は敵の圧力に負け陣形を損ない戦線を破綻させてしまえば、
あとは個別兵士に対する集団的殺戮が待っているだけであり、
戦勝側の損耗率5%以下で敵の重要な 将軍や市民の大半が殺害されてしまうことが通常であった。
この意味で古代の重装歩兵による陣形戦は文字通りの決戦手段であった。

古代ギリシア世界の重装歩兵は「ホプロン」と呼ばれる盾を持って戦ったことからホプリテスと呼ばれた。
ホプリテスを務めたのはポリスの自由市民と居留外国人であるメトイコイで、兵役は市民の義務とされていた。
トゥキディデスの『戦史(ペロポネソス戦争の歴史)』によれば、アテナイ市民の重装歩兵は1万人をくだらず、
メトイコイの重装歩兵も3千人をくだらなかったとされる。
ホプロンは木に牛革を重ね枠を青銅で補強したもので、走る際には著しく邪魔になったが、
敗走の際に盾を捨てることは甚だしい不名誉とされた。
歴史的にギリ シア文化圏においては小型のものが用いられ、
他に青銅製の兜と脛当及び皮革を固めた鎧を装備して戦っ た。

-ファランクス-
ファランクスは、古代において用いられた重装歩兵による密集陣形である。
集団が一丸となって攻撃するファランクスは会戦において威力を発揮した


もっとも古いファランクス、もしくはそれに似た隊形は、紀元前2500年ほどの南メソポタミアですでに確認できる。
鎧の有無は不明だが、大盾と槍による密集陣形がこの当時に存在していたことを示している。
しかし、その後中東では複合弓の発明によって戦場の主役の座は弓兵となっていく。
その後紀元前700年頃のアッシリアでも同様の隊形が用いられていたことが石版から確認できるが、
鎧兜を着用した重装歩兵を用いたファランクスを大々的に用いたのは紀元前7世紀以後の古代ギリシャである。
古代ギリシャにおいてファランクスを構成していたのは一定以上の富を持つ市民階級であり、
当時の地中 海交易の発達から甲冑が普及して重装歩兵部隊を編成することが可能となった。

また、都市国家が形成されたことから同じ目的意識を持った集団が生まれたこと もファランクスの形成に影響した

基本的にファランクスは激突正面に衝撃力と殺傷力を保持していたため、

一旦乱戦になると転回機動は難しく、機動力を使った戦術としては用をなさなかった。

時代が下ると、会戦において数的劣勢にあった側はファランクスに改良を加え、戦力を補完した。

テーバイの将軍エパメイノンダスが使用した斜型密集隊形はロクセ・ファランクスと呼ばれ、

レウクトラの戦いにて、勇名を轟かせたスパルタ軍を数で劣勢にあったにもかかわらず打ち負かした。

ここで用いられたロクセ・ファランクスは、一般的にいってファランクスの弱点である右側面を 確実に打ち破るため、スパルタ軍の12列縦深に対して、テーバイ軍左翼は50列縦深をとるというものだった。
ファランクスは縦深が深いほうが、盾での押合 い(オティスモス)において有利であり、
消耗しても隊形を維持して持ちこたえることが可能となり、縦深は極めて重要な要素であった。
ロクセ・ファランクス はその特性を活かした陣形といえる


-パイクマン-
パイクは、15世紀から17世紀にかけ、歩兵用の武器として対騎兵、対歩兵と幅広く使用された槍の一種である。4mから7m程度の長いに25cmほどの木の葉状の刃がついており、重量は3.5-5kg。
パイクの名称は15世紀、フランス語でピケと呼ばれた歩兵用の槍の英語発音に由来する。


パイクを持った歩兵は主に隙間なく密集方陣または横隊を組んで前進し、

歩兵に対してはプッシュ・オブ・パイクによって、騎兵に対しては槍衾を作ることによって対抗した。

プッシュ・オブ・パイクとは、肩の高さでパイクを保持し、小さな突きで牽制しながら互いの体が接触するまで前進する戦闘方法で、接触後は白兵戦用武器と押し合いを併用した戦闘が行われた。通常、どちらかの隊列が崩壊するまで継続され、多くの死傷者を伴った。

パイク兵の主任務は突撃してくる騎兵や歩兵の迎撃だったが、しばしば味方の射手や騎兵の援護、撤退する味方の支援などにあたった。

パイクはこのように幅広い用途に用いられ大変効果的だったため、17世紀後半までは主要な歩兵用武器だったが、銃剣の発明により射手が近接戦闘も行えるようになると完全に姿を消した。



-矛槍兵-
矛(ほこ)は、槍や薙刀の前身となった長柄武器で、やや幅広で両刃の剣状の穂先をもつ

矛は中国において、戦車兵に欠かせない武器として用いられただけでなく、
歩兵や騎兵にとっても有効な武器として広く使用された。
その後、冶金技術の進歩や戦術の変化により、刺突力が優れ集団戦に向く槍へと進化した


石器時代に用いられた石槍に関して、槍の前段階として石矛と呼んだり、

漁に用いたものを特に石矛と称する場合もある。

袋穂はその形状の成形・成型に手間がかかるため茎方式に比べ生産性で劣っている。

ただし、初期の冶金技術では実戦に耐えうる細く長い茎の形状を造る ことが難しかったために袋穂によって柄と接合された。そして、冶金技術が発達すると威力と生産性に優れる槍へ変化していったと考えられている。

なお、中国では明の時代に、蛇をおもわせるくねった刀身をもつ改良型の蛇矛(だぼう)が登場している。



-マスケット銃兵-

マスケット銃は、銃身にライフリングが施されていない先込め式の滑腔式歩兵銃である。

このため、散弾も発射可能であった。

正確にはマスケットであり、この語だけで銃であることも意味しているが、

この語が一般的でない日本では「銃」を付して呼ばれることが多い。中国では「鳥銃」という。


初期のマスケットは点火機構がマッチロック式(火縄式)だった。
ヨーロッパ史における初実戦はフス戦争であるといわれる。
続いてホイールロック式のマスケットが作られたが、高価な割りに信頼性が低く、この方式はあまり広まらなかった。
しかし、17世紀後半にフリントロック式の点火機構が発明されると、
コスト低下や信頼性向上などの理由でこれが主流となった
さらに紙製薬莢の発明で銃の射撃間隔が短縮され、フランスで銃剣が発明されて槍の機能も兼ねるようになり、射撃時以外の防御力の高まったマスケットは軍隊の中心となった。
その後、19世紀中期には点火方式がより簡便確実なパーカッション・ロック式(雷管式)となった

しかし滑腔式の銃身で球形の弾を発射するマスケットの命中精度は非常に悪かったため、
長距離狙撃には向かず、軍隊では陣形を組み、敵へ向けて短距離で斉射する運用しかできなかった
これを改善するためにライフリングを施したライフルド・マスケット(ライフル銃)の開発などが行われた結果、
射程や命中精度に劣るマスケットは表舞台から消え、プリチェット弾を使用するミニエーライフルや、
これを改良して元込め式にしたスナイドルライフルに取って代わられることとなった


-電撃歩兵-
電撃戦とは、一般に機甲部隊の高い機動能力を活用した戦闘教義である

電撃戦は、少なくとも3つの観点から研究されている。
1つ目は第二次世界大戦初期にドイツ国防軍が行ったポーランド侵攻、ナチス・ドイツのフランス侵攻、独ソ戦時のバルバロッサ作戦・ブラウ作戦で、赤軍がバグラチオン作戦で部分的に実践した歴史的な戦闘教義としての観点、
2つ目は迅速な攻勢によって勝利する軍事教義として
プロイセンの時代から存在していたという電撃戦を拡大解釈する観点、
3つ目は敵の撃破ではなく機動による攪乱に力点を置いた機械化戦闘の代表的理論としての観点である。
なお、3つ目の観点においては、1980年代まで各国の陸軍で主流の教義であったという見解も示されている。

いずれの解釈においても共通している電撃戦の特徴とは、機動戦の理論に基づいていることである。
電撃戦の教義を研究開発し、後の軍事理論に決定的な影響を与えたドイツのハインツ・グデーリアンは、
航空部隊による近接航空支援との連繋の下で相手の陣地防御に対して機甲部隊に縦深突撃を実施させ、
ただちに敵の側面と背後に戦力を展開して包囲が完成するよう、作戦を指揮した

このように機械化された戦闘部隊の優位である高い機動力を駆使しながら、
戦いの主導権を掌握してそれを活用することが、電撃戦の本質的な要素である


-突撃歩兵-
突撃歩兵とは、第一次世界大戦中において、硬直化していた塹壕戦を打破する目的で考案された部隊である。
突撃歩兵については、仏Andre Laffargue大尉による提言、
伊Ciuseppe Bassi中佐によるアルディーティ隊の創設などがあるが、ドイツ突撃隊が有名である


突撃歩兵の名はドイツ語のStoßtruppe シュトース・トゥルッペ の訳語で、直訳すると衝撃部隊の意味である。
Stoßが日本では「突撃」と翻訳されて定着しているため、突撃歩兵と和訳されている。
しかし、ドイツ軍の教 本では「攻撃とは運動、射撃、衝撃(Stoß)及びこれが指向する方向によって効果を発揮する」と定義されており、ドイツ軍では射撃と運動に合わせて衝撃を重要視していた。
このようにStoßの本来の意味は衝撃であり、英語でもshock troopsと翻訳されている。
しかし、日本では衝撃部隊などと訳されることはまれである。その他、特攻隊などの和訳があてられることがある

ドイツ軍で公式的に突撃歩兵が誕生したのは、1915年3月第18工兵大隊長カスロウ(Calsow)少佐によって編成された部隊である。これは指揮官の 名を取ってカスロウ突撃隊と呼ばれる。
戦前から攻囲戦の訓練をしていたのは工兵であり、西部戦線の強力な塹壕を突破するにふさわしい新部隊、
新戦術を創造 する役目も工兵が中心となって行うこととなった

塹壕を突破する歩兵にとって一番の悩みは敵側防機関銃だった。
散開隊形で突撃を行っても、その驚異的な発射速度によって歩兵たちはバタバタと射すくめられていった。
この問題を解決するためクルップ社で37ミリ軽砲が開発された

突撃隊最初の任務はフランスでの前線守備だった。新兵器の37ミリ軽砲も前線へと持って行かれた。
だが部隊はフランス軍の砲撃などによって大損害を被って いる。
37ミリ軽砲を使用するや否や、その発射光によって容易に場所を特定され、
フランス砲兵の標的とされたからである。クルップ社の37ミリ軽砲は前線 では全く役に立たなかった


以上、共通ユニットの歩兵編でした
なんか兵種についてというよりも武器についてだとか名前の由来についてだとかになってしまったような・・・

どうでもいいですが最近ドミネーションズの影響で歴史が楽しく思えてきました
こんな感じにゲームを使って歴史の授業受けられたらきっと楽しく授業受けられたんだろうなあ
ではまた次回!

参照1」「参照2」「参照3
参照4」「参照5」「参照6」「参照7