みなさんこんにちわ、べえじゅです。
今回はフランス、ギリシャとやってきたので共通ユニットの騎馬兵を見ていきたいと思います

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重武装したユニットは、他の兵士がダメージを与える間、近距離で防御建物を攻撃し、敵軍を混乱させます。

いわゆるタンク役のユニット、攻撃ダメージは低めだがHPがとても高く防御施設を狙って攻撃する
そんな騎馬兵の天敵はバリスタタワーである
うまくバリスタタワーを処理して騎馬兵を生き残らせるかが攻めでは大切です



騎兵(きへい)は、兵種の一つで、など動物に騎乗して戦闘行動を取る兵士である。
最初はロバが使用されていたが、後に馬が主流になった。
最古の騎兵は動物が曳行する戦車に乗った兵士であったが、後に動物に跨る騎兵に移行していった


騎兵は相対的に高い機動力・攻撃力を誇り、作戦の幅を広げ、
偵察、伝令、警戒など後方支援でも活躍した。
また、軽騎兵・重騎兵と分類されることもあり、前者は機動力を、後者は攻撃力及び防御力を重視している。
現代では騎兵から派生した、装甲車やヘリコプターに搭乗する部隊も「騎兵」と呼ぶことがある

有史に残る最古の騎兵は、紀元前2500年、メソポタミアのシュメール絵に描かれた戦車部隊である。
最初は馬の存在が知られておらず、ロバが使用されていた
馬にまたがる騎兵への移行は、新アッシリアのレリーフに残されており、
アッシュールナツィルパル2世の治世が最初である。
裸馬に御者が盾を持ち、弓兵とまたがるもので速度は遅く、馬の腎臓を傷めた


次はカタフラクトについて調べました

カタフラクトは、古代末期のローマ帝国ないし東ローマ軍で考え出された複数の武器と重装甲を持った重騎兵。
特に突撃の際に重要になる軍馬の前方のみに装甲を施した騎兵をいう。

ギリシア語で「甲冑に囲まれた(もの)」に由来する。
また、彼らと戦ったサーサーン朝ペルシャやその周辺国家の同様の重騎兵に対しても呼称する。

サーサーン朝ペルシャとの戦争を教訓にし、
重装歩兵によるそれまでの戦闘教義が維持不能と判断した東ローマが、
ペルシャ風の騎兵を使った新しい戦闘教義として生み出だした
のちの騎士と違い、軍団兵の延長であるカタフラクトは、
あくまで兵隊としての騎兵であり、社会的地位は付帯していない

軍馬の前方のみに装甲を施した騎兵をカタフラクトと呼んだのに対して、
軍馬全体に装甲を施した超重装騎兵ともいうべき重騎兵はクリバナリウスと呼ばれた



中世時代のユニット、騎士についてはフランス編を見ていただくと分かりやすいと思います
http://sironuko09.com/archives/2042916.html

騎士を飛ばして次は槍騎兵です

ヨーロッパでは、古代から中世にかけて槍は騎兵の主装備として使用されてきた。
ランスを装備した騎兵の突撃は、歩兵にとって大きな脅威であった。
中世中期から中世後半のヨーロッパではランスを主要な武器とする騎兵は大抵の場合は重装備の騎士だったが、より軽装の騎兵を区別して槍騎兵と呼んだ。

15世紀から16世紀にかけて、歩兵が火器と槍を組み合わせたテルシオのような密集方陣を編み出すと、
騎兵の突撃はその効力を低下させた。
さらに槍より射程の長いピストルを騎兵が持つようになると、騎兵の主装備もピストルと刀へ移行していった。
ポーランドではフサリアが運用され続けたが、槍騎兵は西欧の戦場からは姿を消していき、
主に儀礼的な場にのみ現れるようになった

騎兵の突撃力が減退したため、歩兵は槍に頼る必要が無くなり、
部隊の中に占める火器の割合が増加していった。
銃兵に近接戦闘能力を付与する銃剣が普及すると、ますます槍の意味合いは薄れた。
こうした武装の変化に合わせ、歩兵隊形も密集方陣から火力を発揮しやすい横列隊形へと変化していった。
しかし、このような歩兵隊形の変化は、方陣によって獲得できていた防御力の低下を招き、
再び騎兵の突撃が威力を発揮するようになった

18世紀ごろから、ランスを装備した槍騎兵が再び諸国の軍隊で編成された。
多くの国家は、当時最も著名だったポーランド槍騎兵(ウワン)を参考にしたため、
特徴的な軍装や戦術も模倣された。
こうして槍騎兵は、重騎兵や軽騎兵と並び、一つの兵科として位置づけられるようになった


次は胸甲騎兵です

胸甲騎兵(きょうこうきへい)は、近世ヨーロッパにおける騎兵の区分の一つで、
重騎兵の一種である。または、騎兵科の兵職の一つである。

15世紀以降の火器の普及やパイク槍兵の出現により、それまでヨーロッパの軍隊の主力であった騎士と呼ばれる槍騎兵は、その重要性を急速に失うこととなった。
これに代わって登場したのが、火器で武装した新しい様式の騎兵である。
1618年、三十年戦争開始当時の西ヨーロッパの騎兵は、
乗馬歩兵たる竜騎兵を除いて大きく二つのタイプ胸甲騎兵火縄銃騎兵とに分類できた。

胸甲騎兵
胸甲(Kürass)と呼ばれる頭から膝下までを覆う重い甲冑を身につけ、
二挺のピストルで武装した重騎兵。没落した騎士の後継である
火縄銃騎兵(Harquebusier)
胸甲騎兵を支援する為に用いられた、より軽装の騎兵。使用する火縄銃により様々な名前で呼ばれていた。
カービン騎兵と区別されることもあるが、両者は大変よく似ている。
17世紀に入ると甲冑を身に着けた騎兵は姿を消し、より軽装の騎兵が主流となる。
三十年戦争においてのスウェーデン軍の主力は、鎧を鉄兜と背当て・胸当てのみに軽量化し、重い騎兵用小銃の代わりに拳銃で 武装した軽装騎兵であった。

これを攻撃騎兵(用法としての重騎兵のこと)として戦争を勝ち抜くと、各国もこぞってこれに倣った。
敵に至近距離まで接近し、 拳銃の火力を最大限引き出すスウェーデン軍の騎兵の前では、胸甲騎兵の重い甲冑も役には立たなかったのである。スウェーデン軍はさらに徹底して、最低限の 鎧と拳銃すら廃し、皮革製コートとサーベルのみを装備し抜刀突撃のみを行った騎兵も存在した

19世紀以前のヨーロッパでは、フリードリヒ大王の組織したプロイセン流の万能型騎兵が全盛であり、
胸甲を着け近接戦闘を行う重騎兵はさほど重要視されていなかった。
しかしその後のナポレオン戦争では、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が騎兵による集団突撃を重視したため、胸甲騎兵は他の重騎兵とともに一躍戦場の花形となったのである。


しかしこのような重騎兵の運用は、ナポレオン戦争の時代を境に少しずつ衰退していった。

ライフル銃や機関銃など改良されていく火器の前に、もはや騎兵の集団突撃という戦法は自殺行為に等しく、

積極的に近接戦闘を行う機会も少なくなった戦場では、胸甲は近代火器を防御出来ず重いだけの無意味な装備でしかなかったのである。

それでも第一次世界大戦期までは命脈を保つものの、その後は完全に戦場から姿を消した



最後に戦車について調べました

戦車は第一次世界大戦時に、歩兵の突撃を支援して膠着した塹壕線の突破を目的とする、
歩兵支援兵器として登場した。戦間期から第二次世界大戦にかけて運用方法が各国で研究され、
その過程で武装、重量、装甲厚や機動性などの違いによる多種多様な形態の戦車が作られ、
歩兵の突撃を支援する歩兵戦車、多目的の中戦車、重武装で重装甲の重戦車、
機動性重視の軽戦車や巡航戦車、空挺戦車や水陸両用戦車といった多数の種類が登場した


近代工業化による内燃機関の発達にあわせて、
第一次世界大戦前より各国でのちに戦車と呼ばれる車輌の構想が持たれるようになっていたが、
技術的限界から実現されることはなかった。

第一次世界大戦で主戦場となったヨーロッパではドイツの西部において大陸を南北に縦断する形で塹壕が数多く掘られいわゆる西部戦線を形成した。
戦争開始からそれほど間をおかずに巧妙に構築された塹壕線、機関銃陣地、有刺鉄線が施されることとなり防御側の絶対優位により、生身で進撃する歩兵の損害は激しく、戦闘は膠着することとなった。
対峙する両軍は互いに激しい砲撃の応酬を行ったため、両軍陣地間にある無人地帯は土がすき返され、
砲弾跡があちらこちらに残る不整地と化して初期の装甲車など装輪式車両の前進を阻んでいた。

これらの閉塞状況を打破するため、
歩兵と機関銃を敵の塹壕の向こう側に送り込むための新たな装甲車両が求められた

このとき注目されたのが、1904年に実用化されたばかりのホルトトラクターであった。
これはアメリカのホルト社、現在のキャタピラー社が世界で最初に実用化した履帯式のトラックで、
西部戦線での資材運搬や火砲の牽引に利用されていた。
このホルトトラクターを出発点に、イギリス、フランスなどが履帯によって不整地機動性を確保した装軌式装甲車両の開発をスタートさせた

FT_17
初めて「戦車」としての基本形を整えたのは第一次大戦中に登場したフランスのルノーFT-17という軽戦車であった。
FT-17は、それまでの車台に箱型の戦闘室を載せる形ではなく、直角に組み合わせた装甲板で車体を構成し、
横材となる間仕切りで戦闘室とエンジン室を分 離することでエンジンの騒音と熱気から乗員を解放した。
小型軽量な車体と幅広の履帯、前方に突き出た誘導輪などによって優れた機動性を備えており、
全周旋 回砲塔は良好な視界と共に1つの砲で360度の射界を持っていた。

FT-17は3,000輛以上生産され、当時もっとも成功した戦車となった。
第一次世界大戦後には世界各地に輸出され、輸出先の国々で最初の戦車部隊を構成し、
また初期の戦車設計の参考資料となった。

第一次世界大戦中から第二次世界大戦直前までに開発された戦車は、
第一次世界大戦において対歩兵戦闘に機関銃が大いに活躍したことから機関銃を主武装にす るものが多く見られた。これは当初、想定された戦場が塹壕戦であったためであるが、第二次世界大戦初期には砲を主武装にした戦車に移行した。

第二次世界大戦では、戦術的に、戦車を中心に、それを支援する歩兵、
砲兵など諸兵科を統合編成した機甲師団が対フランス戦においてその威力を発揮し、
戦車は陸戦における主力兵器としての価値を証明した

この事実を重く受け止めた各国は、戦車の改良と増産に着手し陸軍の改変をすすめることになる。
ドイツでは独ソ戦におけるT-34ショックは、海軍艦艇における戦艦「ドレッドノート」の出現による既存・計画艦艇の陳腐化と同様の衝撃をもって受け止められ、
独ソ間でのシーソーゲームは急速な戦車の発展及び対戦車兵器の開発を推し進める原動力となった


以上、騎馬兵と戦車の歴史でした
なんか銃火器の登場で徐々に立場が無くなっていったことを思うと少し悲しい気持ちになりますね
銃火器が無い世界だと今でも騎馬兵が戦場を闊歩していたのでしょうか?
でも装甲車は騎馬兵じゃ敵わないか・・・

次は槍兵か弓兵どっちかを書こうかと思います
ではまた次回!ヾ(´ω`=´ω`)ノ

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他のユニット解説
http://sironuko09.com/archives/2104934.html