こんばんわん
今日はドミネーションズの火薬時代の歴史を調べてみようと思います
いつも通りググッて出てきたサイトの文章をコピペしたり自分なりの言葉にしたりします
なので詳しく知りたい!っという人は歴史の教科書を読むといいですよ…!
追記:不思議の解説を追加しました

-火薬時代-
ゲーム的にはついに弓を捨て銃を手にする時代ですね
動物の狩りにも槍ではなく火縄銃を使うようになり一撃で仕留めるようになります
また、バリスタタワーや投石器が大砲タワー、迫撃砲にチェンジ!
施設の見た目も大分ゴツくなってきました
town_roma_gun
-その頃の世界史-
どうやら火薬時代という定義はドミネーションズのくくりみたいです
火薬時代の次の時代、啓蒙時代がヨーロッパだと17世紀から始まるようなので
中世時代と啓蒙時代の間の15世紀から16世紀あたりの時代を差すと予想します

ヨーロッパの近世としては、大きな3つの時代と出来事である、
ルネサンス(古代復興)、宗教改革(プロテスタントの誕生)、大航海時代(新航路、新大陸の発見)が起き、
また王権神授説、重商主義、国王の常備軍を柱とする、絶対王政が栄えた




ルネサンスは「再生」「復活」を意味するフランス語であり、
一義的には、古典古代(ギリシア、ローマ)の文化を復興しようとする文化運動であり
14世紀にイタリアで始まり、やがて西欧各国に広まった

ルネサンスは、西欧世界の進行方向を決定付けるような、文化史・精神史の上での一大事件であった
ルネサンス初期においてはギリシアとイタリア等西欧諸国との関係は薄く、
アラビア語を介しての文化伝達に過ぎなかった。
しかし1397年、ビザンツ帝国からギリシア語学者のマヌエル・クリュソロラスがフィレンツェに招聘されてギリシア語学校を開いてから、イタリアにおいてギリシア語学習が行われるようになった。
ビザンツ帝国に保管・継承されていたギリシア語の古典文献の読解が可能となり、ルネサンスの一助となった




大航海時代は、15世紀中ばから17世紀中ばまで続いた、
ヨーロッパ人によるアフリカ・アジア・アメリカ大陸への大規模な航海が行われた時代。
主にポルトガルとスペインにより行われた

15世紀半ばオスマン朝が隆盛を極めつつあったころ、
ポルトガルとスペイン両国では国王を中核として、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐しようとしていた
長い間イスラムの圧迫を受けていたポルトガルとスペインでは民族主義が沸騰し、
強力な国王を中心とした中央集権制度が他のヨーロッパ諸国に先駆けて確立した
また、このころ頑丈なキャラック船やキャラベル船が建造されるようになり、
羅針盤がイスラムを介して伝わったことから外洋航海が可能になった。

ポルトガルとスペインは後退するイスラム勢力を追うように北アフリカ沿岸に進出した
新たな交易ルートの確保、イスラム勢力の駆逐、強力な権力を持つ王の出現、
そして航海技術の発展、海外進出の機会が醸成されたことで、
ポルトガル・スペイン両国は競い合って海に乗り出して行った

ポルトガルに遅れをとっていたスペインは1486年、
フェルナンド5世と、その妻イサベルがコロンブスの計画を採用し
1492年、旗艦サンタ・マリア号に率いられた船団がバルセロナ港から西に出港した。
1492年10月12日、西インド諸島に属するバハマ諸島に到着したコロンブスは
翌年スペインに帰還して西回りインド航路を発見したと宣言した

スペインは交易品を求めてアメリカ大陸深部に進出すると豊富な金銀に目をつけた。
インカやアステカを征服し原住民を牛馬のように酷使して略奪の限りを尽くした。
アメリカ航路開拓に遅れをとっていたポルトガルも、
1500年、カブラルがブラジルに到達しその地をポルトガル領に加えスペイン同様に原住民から富を収奪した




宗教改革とは、16世紀(中世末期)のキリスト教世界における教会体制上の革新運動である
ルターの贖宥状批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、
聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した
1517年、ルターはローマ教会に抗議してヴィッテンベルク市の教会に95ヶ条の論題を打ちつけた。
これが、一般に宗教改革の始まりとされる

この贖宥状批判は大きな反響を呼んだ。この批判はまたたくまに各地に拡大し、
ローマ教皇に嫌悪を抱いていた周辺の諸侯の支持を得た
ドイツに次いで宗教改革の火の手が上がったのはスイスである。
ツヴィングリはルターの95か条の論題を受け、1519年に贖宥状販売の批判を行い、
やがて1523年にチューリヒ州で宗教改革を成功させた

これをきっかけに周辺諸州のいくつかが宗教改革を受け入れたが、
カトリックに残る州も存在し、スイス誓約同盟は宗教的に二分される形となった




-その頃の日本-
15世紀から16世紀の日本は室町時代から安土桃山時代です
ついに戦国時代突入です

-室町時代-
14世紀頃から16世紀頃までは室町時代と呼ばれ、京都の室町に幕府が置かれた
京都に本拠を置いた幕府は、朝廷の権能を次第に侵食したため、朝廷は政治実権を失っていった
各国に置かれた守護も半済等の経済的特権の公認や守護請の拡大などを通じて、
国内支配力を強め、国衙機能を取り込んでいき、守護大名へと成長して、
守護領国制と呼ばれる支配体制を築いた。
こうして幕府と守護大名が構築した相互補完的な支配体制を室町幕府-守護体制という

-戦国時代-
15世紀後期から16世紀後期にかけての時期を戦国時代と呼ぶ
この時代は、守護大名や守護代、国人などを出自とする戦国大名が登場し、
それら戦国大名勢力は中世的な支配体系を徐々に崩し、分国法を定めるなど各地で自立化を強めた
地域国家間の政治的・経済的矛盾は、武力によって解決が図られた。
そうした流れの中で16世紀半ばに登場した織田信長は、
兵農分離などにより自領の武力を強力に組織化して急速に支配地域を拡大していった
この時代は、農業生産力が向上するとともに、
地域国家内の流通が発達すると、各地に都市が急速に形成されていった。
また、ヨーロッパとの交易(南蛮貿易)が始まり、火縄銃やキリスト教などが伝来すると、
それまでの戦術や日本の宗教観念に大きな影響を与えた

-安土桃山時代-
織田信長は室町将軍足利義昭を放逐すると、室町幕府に代わる畿内政権を樹立した。
信長が本能寺の変により滅ぼされると、天下統一の事業は豊臣秀吉が継承することとなった
秀吉は、信長の畿内政権を母体として東北から九州に至る地域を平定すると、統一事業を完了した。
秀吉もまた中世的支配体系・支配勢力の排除・抑制に努め、
太閤検地の実施を通して荘園公領制・職の体系を消滅させ、これにより中世は終焉を迎えた




-不思議解説-
タージマハル
タージ・マハルは、インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、
1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。
インド・イスラーム文化の代表的建築である
1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年に新・世界七不思議に選出された

アンコールワット
アンコール・ワットは、カンボジア北西部に位置するユネスコの世界遺産(文化遺産)であるアンコール遺跡の一つであり、
その遺跡群を代表するヒンドゥー教寺院建築
12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、
ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立される。
1431年頃にアンコールが放棄されプノンペンに王都が遷ると、
一時は忘れ去られるが再発見され、アンチェン1世は1546年から1564年の間に未完成であった
第一回廊北面とその付近に彫刻を施した。孫のソター王(フランス語版)は仏教寺院へと改修し、
本堂に安置されていたヴィシュヌ神を四体の仏像に置き換えたという

ヴェルサイユ
ヴェルサイユ宮殿は、1682年にフランス王ルイ14世が建てたフランスの宮殿である。
ベルサイユ宮殿とも表記される
パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。
主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、
庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造営された。バロック建築の代表作で、
豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である

ティカル神殿
ティカルは、グアテマラのペテン低地にあった古典期マヤの大都市である。
マヤ文明の政治、経済中心都市として紀元4世紀から9世紀ごろにかけて繁栄を極めた。
ティカルの遺跡は1979年に世界遺産の複合遺産に登録された
ティカルの中心的な遺跡が「大ジャガーの神殿」である。
高さが51メートルあるピラミッド状の建築物で、最上部の神殿入口でジャガーの彫刻が発見された。
神殿の前にはたくさんの石碑が立っており、支配者たちの姿が浮き彫りにされたレリーフがある




西欧のほうでは宗教や王政関係
日本は幕府関係の出来事が多いみたいですね
そういえば学校の歴史の授業でこんなのやったなーって思いました(^ω^ )

正直、中世時代から歴史の内容が多すぎてこの記事にどう収めるのか迷います
文章が支離滅裂で本当に申し訳ない
これでも1時間程度かけて更新してるんで許してください!
普段は15分から30分程度
詳しく知りたい人は「中世時代」や「近世」でググると
Wikipediaとか詳しいサイト出てきますのでググってみてくださいね

他の時代
http://sironuko09.com/archives/1175512.html